ホワイトバンド なる運動が、巷で話題になっているようだ。

うん、悪くない。

貧困を金の力でなく、声をあげることによってなくそうという試みが新しい。


人間の声、というのは偉大な力を持っている。

また、歴史を作ってきたのも声の力である。

英雄や指導者、あるいは民衆の声によって、

人類は進歩と悲劇と、建設と破壊を繰り返してきた。


この『声の力』による試みによって、善意によって、人々が救われたなら、

それはとてもすばらしいことだ。




しかし、俺の斜に構えた『声』が俺の内から、

一つの矛盾に対する疑問を伴って、生まれてくる。


断っておきたいのだが、以下に書くのは

限りなく合理性を追求した観点に基づいた主張である。

そして、決してこの運動に賛同する人々の善意を踏みにじろうという意図はない。




「生めよ。増えよ。地を満たせ。地を従えよ」

旧約聖書の創世記において、記された一説である。

人間の生物的本能と、宗教的思想、

それら二つを矛盾なく包括したものだと思う。


しかし、旧約聖書が記述されたと言われる年代から3000年近く経った、

現代社会はどんな状況だろうか?

人口爆発が危惧され、全人類の総数は60億を超えてしまっている。

地球という星の物理的限界によって、人類の繁栄も量的限界にさしかかろうとしているのだ。


旧約聖書を記した人物は、よもやこんな状況になるとは想像もしなかったのだろう。

3000年近くも前では、世界の広さを知る由もない。



さて、この人口爆発によって、いくつかの問題が引き起こされる。


人口が増えることによって起こる食料問題、水不足。

経済のキャパシティの限界による貧困。

それからエネルギー問題、環境問題。


この問題の中で注目すべきなのは、貧困である。

ホワイトバンド運動では『貧困をなくして子どもたちを救う』という趣旨なのだが、


貧困緩和→死なずに済む子どもが増える→人口増加→更なる貧困


この負のスパイラルを想像してしまうのは、斜に構えすぎだろうか。

ただ現実的に考察しただけである。



その証拠に、このまま人口が増え続けると、2050年には90億人に達してしまうそうだ。

そこからさらに累乗的に加算されるとすれば、

その50年後、2100年、本来ドラえもんが誕生するとか言われてた22世紀になるころには、

きっと人類社会は破綻する。


生物的本能としても、神の言葉としても、人間が増えることはよしとされていたが、

ここに至ってバランスをとるべき必要性が生まれてしまった。


繁栄することによって近づく破滅。

この矛盾から目を離して、善意に基づく運動に賛同していいものなのだろうか。



続く