「あぁー書くんじゃなかったこんなこと」
俺の内なる私的な声が聞こえてくる。
実際、前の記事を書いた昼から今の時間まで、
少々考察を続けてきたが、
貧困と人口爆発に関わる問題は多数の要素が複雑に絡み、
経済、人口論、史学、哲学、科学、社会学、宗教、人類学etc
これらすべてに通じていなければ、語りつくせる内容ではない。
シンプルに、
「別にいいじゃねーか、いいことするんだからよ」
という風にまとめることも考えたが、
皆が諸手を上げて賛同しようとする事柄に、
疑問を投げかけて「おいちょっと待てよ」とするのが、
俺のスタイルである。
今まで知りえた情報と、信念によって続きを書こうと思う。
では本題に。
さて、貧困と人口爆発の負のスパイラルについては↓で述べたが、
これは、今そこにある危機なのであって、
我々人類に残された時間は限りなく少ないと思われる。
50年を短いと思うか長いと思うかは別にして。
また、近年グローバル化が推し進められてきた。
グローバル化、聞こえは横文字で、なんかこう世界が一つで、
これから先いろんな国に行けて、いろんな国の人がやってくる!
という感じで人々にはポジティブに受け止められているようだ。
しかし、グローバル化の実態とは、
経済障壁を緩和して、経済強国も貧困国も公平な競争のもとで戦う、
ということである。
これを例えると、幼稚園児と大の大人が同じリングの上で戦うことを強いられるようなものだ。
もちろん我らが日本も、国と国との経済戦争の最中に、
今まさにいるのである。
そして、この経済戦争のプレイヤーは、
我々のような小市民も含まれる。
つまり、間接的にではあるが、
貧困国の人々と、経済構造の中で戦っているのだ。
根源的な問題として、富とは貧困の上にしか成り立たない。
よって、我々日本人が、こんな豊かな生活を送れるのも、
一方で、世界のどこかで悲惨な生活を送っている人々がいるからなのである。
一番わかりやすい例として、為替レートがある。
貧困国での一日分の食事と、
我々が食う一日分の食事では仮に質と量が同じものだとしても、
為替レートの存在によって値段が違う。
考えてみればおかしな話である。
実態とは必ずしも一致しないのが資本主義市場経済だ。
価値を決める絶対的なものは存在せず、
相対評価によって、状況が変わってくるのが、
この経済構造の本質なのである。
ということは、貧困国を救済のに一番早い近道は、
我々が豊かさを捨てることだ。
夏はエアコン、冬は暖房、365日コンビニは開いていて、
どこへ行くにも乗り物を使って、食事はとにかくうまいもの。
だけど、毎日同じのじゃ飽きる。
朝晩風呂に入りたいしそれからキレイに着飾って、
ヒマな時間はネットにつないで・・・
これらを捨てることができるだろうか?
極論過ぎるかもしれないが。
ここで一言言いたい。
こんな発言をすれば、非難されるかもしれないが・・・。
これだけは言いたいのだ。
さんざん貧しさの上に成り立った豊かな生活を享受しておいて、
今更何をいうのだ!そういう無思慮な偽善に腹が立つ!!
せっかくいいことを、大きな取り組みの中でやろうとするんだから、
もっと広く深く考えようよ。
世界の現状と、それにつながる自分のことを。
続く