『断っておきたいのだが、以下に書くのは

限りなく合理性を追求した観点に基づいた主張である。

そして、決してこの運動に賛同する人々の善意を踏みにじろうという意図はない』


そのように昨日の記事にて書いた。

しかし、貧困国の現状や、ホワイトバンド運動の実態を調べるうちに、

この運動全体を見直すべきなのではないかと思うようになった。


確かに、貧困の上に成り立つ豊かさが存在し、

我々がその上にいるのは事実なのであるが、

1、これらの貧困の負のスパイラルの構造を、

その責任と原因を先進国にだけ求めて良いのだろうか?


2、あるいは、構造を変えることのできる実現性は?


3、そして、このチャリティによって得られた金の使い道は?

  運動の意味は?


論点をこれら3つに絞って、主張を続けたいと思う。




まず、1の貧困の責任と原因について。


前の記事において書いたように先進国の経済的支配によって、

多重債務を貧困国が抱えている現実がある。

では、それを帳消しにしてやればいいのかと言えば、

それで問題が解決するとはとても思えない。

問題は、彼らがそれで自立できるかだ


俺は根本的な問題を、貧困国自身に求める。

援助をしたところで、貧困が根本的に解決するとはとても思えない。

この運動でも、援助でなく構造を変えるための働きかけをする、

というような目的もあるらしいが、

アフリカ各国の現状を知らないのかと、俺は言いたい。


彼の国々では、たいてい独裁者と特権階級がのさばっているか、

政府軍とゲリラが戦っている。

アフリカのある独裁者は世界の金持ちベスト10に入るそうだ。

ならば、その独裁者がまず責任をとって散財しろといいたい。

無論、そんなことをする独裁者がいるとは思えないが。


そして、民衆も勤労意欲がほとんどない。

青年海外協力隊のエッセーや、南北問題に関する本を読んでみたが、

アフリカにないのは、何より人材らしい。

はなから援助を期待して、先進国が金を自分たちに恵んで当然だと考えている

人々もいるということだ。

援助をすればするほどそれに甘えて生産性が落ちるというジレンマもあるらしい。




それでは2の構造を変えるとするならば、

まず、イラク戦争のような争いを再びどころか何度も起こして、

無為無策な独裁者と特権階級を倒す必要がある。

そしてその戦争が終わった後に、隅々まで教育を行き渡るようにする。


そのような荒療治を行えば、さらに多くの人が死ぬことになるが、

将来的に見れば効果は最善である。

しかも一番手っ取り早い。

だが、そんなことできるわけがない。

彼らの国で独裁政権を倒すべく、

革命を始めるとしても、多くの血が流れることは必然だ。


独裁者を倒すためのイラク戦争でさえ、あんなに非難されたのだ。

誰が戦争を起こすことに賛同する?




そもそも考えて欲しい。

日本が戦争直後、恐ろしく貧乏で焼け野原だったことを

さらに、賠償金という名目で、多額の金を払わなければならなかったことを。


我々の祖父母は援助や構造を変えるなどによって、

ここまで日本を発展させたか?

否、ただ努力によってのみである。


だから、アフリカの貧困に苦しむ人々にも、

まずは努力しなければならないことを訴えるべきだ。

彼らが、我々を打ち負かせるくらいに発展するだけの、

命がけの努力をまずすべきなのだ。


我々の祖父母も両親も、

過労死や借金苦で自殺するほどの努力をしてきたのだから。



さらに続く